東京では7月10日まで上野の東京都美術館で「クリムトーウィーンと日本 1900」展をやってて、
8月5日までは乃木坂の国立新美術館で「ウィーン・モダン」展をやっている。
ウィーン・モダンといっても、ポスターはクリムトなので、
東京にクリムトがいっぱい来ている感じ。
こういう展覧会はたいて2,3か月やっているのに、
どういうわけか会期末が迫って焦っていくことが多い。
でも、なかなかウィーンにはいかれないので、向こうからやってきてくれる機会は逃すわけにはいかない。
上野のクリムト展は、クリムトという画家の生涯を見る展覧会だった。
クリムトの没後100年を記念した展覧会だったので、主役はクリムト。
日本では「過去最大級のクリムト」という触れ込みだった。
そういうわけで、彼の生い立ちから、絵を描き始めた最初、若い時代、
油の乗った、というか絵にいろんなものを込め始めた晩年まで、くまなく見せてくれた。
印象的に金を使ったいくつかの作品を知っているだけでは、
とても「クリムトが好き」とは言えないのだけれど、
好きというよりは、どちらかというと「気になる」と言ったほうがいいかもしれない。
繊細な感じの絵を見ていると、画家本人も神経質そうな細いタイプを想像するのだが、
クリムトはちょっと違っていた。
クリムトの周囲にはいつもモデルとなる女たちがいて、結婚はしなかったけれど子どもは10何人いたとか、
画家の写真を見るとお茶ノ水博士のようなヘアスタイルでちょっとがっちりしているとか、
う~ん、絵だけを見ていればよかったと思うようなことが満載。
それでも、画家の軌跡というのを順を追ってみるのは、
最終的にどうしてこういう絵に行きついたのかなあということを知る上ではとても興味深い。
これは国立新美術館のポスターの絵だけど。
この絵に描かれているのはクリムトの愛人だったエミーリエ・フローリゲ。
彼女本人はこの絵を気に入っていないと説明が書かれていた。
わかる気がする。彼女、服に負けているし。
クリムトはたぶんこの服のモダンな装飾を描きたかったんだろう。
彼女の表情も、このモダンさに負けないくらい高慢な感じがする。
乃木坂の展覧会は、ウィーンと日本の外交樹立150周年という節目に、
ウィーンの芸術―美術のみならず、ウィーンという町全体の変化、建築、装飾等々―がいかに変化を遂げたかということがテーマである。
ウィーンの万博に日本が初めて参加し、浮世絵などを紹介したことが、
ヨーロッパの美術界に与えた影響が大きいと言われる。
古典的な画風から、デザインへと移り変わる時代に、
クリムトはそれを彩った美術界の中心人物として紹介されている。
なので、乃木坂では、彼が女好きだったとか、子だくさんだったとか、そういう話は本筋ではない。
考え方が変わり、町が変わり、新しいものが生まれていく中で、
登場するべくして登場した画家という位置づけである。
劇的に変わった周囲の環境が、彼の創作にどういう影響があったのかという側面を考えると、
あの金ぴかな絵や官能的な作風は、突然変異でもなんでもなく、
きちんと時代の説明にはまってくる。
この時期に同時に両方を、違う視点から見ることができたっていうのは、
なかなかない機会だったなあと思う。
まだ、見れていないクリムトもあるので、ウィーンへ行かなくてもいいやということでもないのだが。
でもわずか100年前に、マリア・テレジアがシェーンブルン宮殿に住んで、
王侯貴族の暮らしをしていたウィーンが、
あっという間に超モダンを受け入れるようになったというのは、
いまさらながら興味深くて、これからまた本を探さなくちゃという気になる。
・・・と思ったら、「世紀末のウィーン・グラフィック」展を今年の初めに京都でやってたらしい。
そのあと目黒でも巡回したらしく。
残念。
こういうのってほんとによくアンテナを張っていないと乗り遅れる。
「エリーザベト」読んでおいてよかった。
彼女も時代にほんろうされた人生だけど、これくらい劇的に変わっていく時代だと、
しょうがないのかなと思う。
歴史を見るとき、人だけじゃなくて、町の移り変わりとか、
そういう大きな視点も入れること、大事。